大日本生産党
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阿久津村事件に関する声明書(昭和7年1月10日)
共産暴虐事件に関する声明書
 
光輝ある我國體の破壊に狂奔し、畏多くも我皇室に対し奉り計劃的不敬行爲を為す共産黨、全協およびその亜流たる全國勞農大衆黨に対しては一日もその生存活動を許す可きに非ず、國家と國民の名において不逞資本家階級と共に断固として掃蕩すべきものなることは論を俟たぬ。

難波大助は元より、今亦大逆不逞の行動に出でし李奉昌と雖も、悉くこの?みても餘り有る非國民的共匪の一部である、然るに最近合法政黨の影に隠れて共産主義思想の大衆への浸透を謀畫しつつある全国勞農大衆黨は共産黨日本支部の嘲罵的煽動に狂?し大衆黨こそ正統共産黨なりと誇負するに努め、ボルシエヴィキ的暴力革命を以て我國體の變革を企図し、鉄砲、拳銃、日本刀、竹槍其の他の凶器を蒐集して、常に無辜の農民勞働者を威嚇脅威し頻々たる彼等の毒牙泣く幾忠良なる國民大衆は全國的に幾何なるかを知らざる有様であること各地における共産主義者の暴動の件、反戰煽動、争議暴動化等々大頻發を見よ!斯くの如き國民大衆の實生活とは全く懸け離れた狂暴不逞の赤色テロこそ我日本社会運動の正当なる発展を阻害し日本國家と國民とを赤露の奴隷たらしめんとする賣國行動に外ならぬ、この?むべき共匪大衆黨執行委員長麻生久の最大無二の根據地たる栃木縣においてもまたこの例に洩れず、彼等不逞なる幹部黨員の良民に対する脅迫掠奪、放火、暴行は數ふるに暇なく、國體本義に立脚して皇室を絶対に尊崇し奉り、全國民を亡國的資本主義の桎梏より解放せんとする我大日本生産黨の運動に対しても狂暴なる彼等は数年前より悪辣なる暴力を以て対立妨害し來つたが我黨はこれに対し今日まで能ふ限りの隠忍を持し來つたものである、然るに旧臘我が黨が演説會場として借受たる宇都宮市外横川村の家屋所有者に対して家屋の破壊と放火を以て契約の取り消を迫り、或いは拳銃を突き付けて生産黨側地主を脅喝し、我黨員よりこれを押収され陳謝状を提出したる等の事件は一二に止まらない。

然るに彼等は黨内極左分子の秘密指令を受け、本春早々宇都宮市外阿久津村において小作料八割値下げ運動を動機として暴動に入る計畫をなし猟銃拳銃各數十挺、日本刀、竹槍、その他の凶器を準備し、無頼の暴力團を全県下より動員して威嚇的示威運動を行っていたのであるが、我生産黨においてはこの恐る可き共産分子(全農系)妄動を探知し、小作人を彼等共匪の暴動意圖の犠牲より免れしめ、正常なる争議の解決を目的として、地主小作人間に奔走中であった。

しかして我黨は八日阿久津村において演説會を開催したが、三時半翌九日午前三時半、遂に共匪大衆党員数百名は、突如小作米倉庫および村内警備に任じつ々ありし生産黨員三十名に向かって猟銃と拳銃の一斉射撃を以て來襲した、この赤色テロの狂襲ため何等武器を持たざる生産黨員三名即死し後一名死亡、十三名は危篤の重症を蒙り、多数の負傷者を出すに至ったのであるが、然も銃丸に斃れたる我同志に対し日本刀を以て滅多切りを行ひ、或は突き刺し或は肉を削ぐ等、その惨忍性に至っては支那の兵匪も猶及ばざる有様である。

我黨栃木縣支部は、まづ斯くの如き國家の賊國民の敵たる共産主義合法黨たる全國勞農大衆黨を、祖國愛に燃ゆる我縣民大衆と共に本縣より徹底的に掃滅し、更に全國同志の血盟を以て、我國に彼等共匪の影を止めざるに至るまで死を賭して戦ふものなることを固く誓うものである。
右聲明す
昭和七年一月十日 大日本生産黨栃木縣支部
 
五・一五事件に関する声明書(昭和7年5月18日)
犬養總理の殺害、帝都の爆彈騒ぎが白晝而も軍人の手によりて、陛下の内閣の首班として、天下の大政を處理する總理大臣を殺すと云ふは、未曾有の重大事件といふべく、陛下に對し奉り誠に恐懼にたへぬ次第である。大臣が公然と殺された前例を強いて求むれば遼く蘇我の入鹿が、王座の下に殺されたことある以外には今回の如き性質の暗殺は決して史上に發見する事が出來ないのである。何故にかかる大事變を生ずるに至ったか、その原因を尋ぬれば政、民兩黨が國家を害した公憤の激成に外ならない。

斯の如き重大事が發生した以上最早議論の餘地はない。速かにこの前後を誤らぬ處置を執らなければならぬ。其の處置として政、民兩黨の議員は一切の政治的責任を負ひ政界より引返し新内閣は全然政黨員以外のものより組織せしむることとし天下の憤りを休めるより外に道はないのである。政、民兩黨が從來取りきたつた如く種々なる理屈を列べ依然政黨内閣を繼續する様なこととなれば國民の憤激は益々昂まる許りで收拾すべからざることになるであらう。

今回事變の善後策として是以外道はない。此の事變を單に帝國軍人の憤りと思ふことは大間違ひであつて國民全體の現はれであることを考へなければならぬ此の事變に對して政黨者は引責することが最も賢明にして必須なることである。これと同時に國家の老臣達も深く考慮して貰はなければ救ふ可からざる破壊が現はれるであらうことを衷心に憂ふるものである。敢て天下同憂の士に愬ふ。
昭和七年五月十八日
 
経済問題に関する斎藤実首相他に対する公開質問状(昭和8年6月5日)
謹で書を内閣總理大臣齋藤實閣下並に大蔵大臣高橋是清閣下及び商工大臣中島久萬吉 閣下に呈す

明治の聖代に在つては輔弼の首脳たる大宰相が在職中に死亡せるすら絶無のことなりしに、大正十年原總理の兇刃に倒れしより以来加藤友三郎、加藤高明の両總理は在職中に病没し、濱口雄幸、犬養毅の両總理大臣が刺客に撃殺されるに至つては有志以来未だ嘗て有らざる処の大不祥事なり、加之ならず大蔵大臣たりし井上準之助氏を暗殺し内大臣牧野伸顯氏を襲撃し財界の巨頭團琢磨氏を射殺したる如き険悪なる空気皇都に漲り人心常軌を逸するの傾向あり

一昨年満洲事変の勃発するや、多年支那人の排日行為に鬱結せる我が國民の憤りは茲に爆発して膺懲の軍事行動となり満洲独立國家成立となり、國際連盟脱退となりたる等対外的問題に就ては挙國一致これに当り毫も憂慮すべき点なきののゝ如し而して非常時來の聲は天下到る処に充満し國民拐~に緊張を加へつゝありと雖も、想ふに非常時の聲は対外問題にあらずして内政の危機より發生せるものならんか、内政の危機は經濟界の破綻より起り、今や我が國民大衆は經濟的重圧に不堪、思想刻々に悪化し来りて将に測る可からざらんとするもの畢竟その因を此間に認めずんばあらず

此の時に当り当局諸公の対策果して如何、不肖良平が總裁せる大日本生産黨は夙に此の状態を憂ひ、日本新經濟策を講究し、帝國の現状は財政經濟の根本的改革を行ふに非ざれば救濟の道なかるべきを説き、具体案を樹てゝ既に当局並に政治經濟界の諸家に明示せり、政府当局は企業統制産業會社整理の名の下に、徒らに起死回生の見込みなき事業會社の負債を擧げて興業銀行に引受けしめ、爲に同行は行詰り将に破綻を来さんとする現状にあり、蓋し同銀行は特殊銀行なるを以て破産閉行の運命に陥るの憂なかるべきも、その損害は悉く國民に負担せしむることゝなるべし、これを以て考ふる時は濱口首相井上蔵相等の奇禍、或は天譴を被りたるものにあらざるか頗る疑なき能はざるものなり

而して現内閣諸公は濱口若槻内閣の經濟界政策と何等選ぶ処なき政策を行ひ資本家を救濟する為に、彼等が現有せる巨億の負債を擧げて國民に転嫁せしめつゝあるは、遂に恐るべき結果を招来せん、且つ政府は國民に対して自力更生すべきを命じながら、その實国民をして更生する能はざる的の政策を行ひ、政府自体も亦た収拾すべからざる財政の破綻を招かんとするは矛盾の甚だしきものと謂はざるべからず、元来國民は自力更生するの外決して活きるべき道なきは古往今来政府が國民の負債を代償したる例なきを以ても知らるべし、いふ迄もなく國民は飽く迄自力を以て更生すべく奮闘努力しつゝあるものなり、然るに政府は尨大なる國債を起して資本家の損失を引受けこれを國民に負擔せしめらるゝに至ては、國民は自力更生せんと欲するも能はざるのみならず、寧ろ陥穽に落して石をその上に投せらるゝに等しきものにあらずや吾が黨は茲に全國民に代つて自力更生の四字を恭しく首相閣下に返納し、政府自体の自力更生せられんことを希望すると同時に、左の事項につき謹みて示教を仰がんと欲す、蓋し本は未だ衆議院議員たるものを有せず議場において質問するの資格なきを以て本書を呈し敢て尊厳を冒して諸公の回答を待望するものなり

昭和八年六月五日
大日本生産黨總裁 内田良平
 
 
保守合同に関する声明書(昭和29年11月24日)
新党運動は遂に所期の保守合同を実現し得ず、本日日本民主党が結成されたが、政局は却つて対立を激化し、遂に両派社会党の政権獲得のための合同気運を醸成するに至つた。この政局昆迷の最大原因は吉田首相の傲慢と利己主義に帰すべきであるが、総じて保守、社会両陣営全体の反国家的根性の責と断ぜざるを得ない。

今日、日本の共産化を阻止せんとする世界の自由主義国家は、日本の政局が保守大同に依つて安定することを希望して居り、一般国民特に財界は保守合同に依る支局の安定と産業経済の振興を熱望している。

現下日本の急務は政局の安定と自主経済の確立、反共国策の方針確立にあるが、前既成政党は右の何れの国策にも失敗し、完全独立と経済自立達成のために戦う政党に非ざる事を自ら暴露した事実、保守合同は資本主義的階級政党のみの合同であつて仮令これが実現されたとしても、決して三大条件たる占領憲法の破棄、道義的経済機構の確立、国民生活の安定は期待できない事は明らかであるが、今日の如き保守政党の分裂と抗争は国際共産党及び容共勢力の侵略を誘致するものであつて、国家の独立と国力の集中を阻害する事夥しい。

我党は茲に国民の英智と良識とを代表して政府及び保守政党の全議員に警告する。我々は敗戦日本の復興のために今日迄忍び難きを忍び、あらゆる政治的醜行と党争、低下する国民生活の窮乏に堪え来たつたが、今や国民大衆の義憤は正に爆発点に達しつゝあることを告げ、諸君がかゝる反国家的行動を改めざるに於ては、全国民は諸君全体の非民主主義的態度に対して徹底的不信任を表明すべく決起するであろう。

我が党は政府及び自由党、日本民主党の諸君に対し、我々国民は断じてかゝる亡国的妄動を設すものに非ざることを厳重に警告する。
右声明する。

昭和二十九年十一月二十四日
大日本生産党
 
政局監視の声明書(昭和29年12月9日)
吉田内閣は遂に総辞職したが、これは野党の圧力というよりも義憤に燃える国民の総抗議の所為に依ると言わねばならぬ。吉田首相が我意を通して解散を強行せんとするに対し緒方副総理が之を拒否して総辞職に導きたることは、一応筋の通ったことである。然し乍ら今下野したばかりの自由党が、緒方副総理を内閣首班に擁立する如きは、憲法の常道を無視するも甚だしく、断じて我々国民の承服し難いところである。我等は又鳩山内閣の出現を要望するものに非ず鳩山内閣も本質的には吉田内閣と変るものに非ざることを知悉するも、然も猶政治の常道は厳として野党第一党の総裁を内閣首班に詮衡すべきことを命じている。緒方氏も吉田首相の解散強行に反対して総辞職した以上、初期の目的たる保守合同の実現に向つて邁進すべきではないか。亦日本民主党も政権獲得のためには手段を選ばず主義主張を異にする左派社会党の協力をも要請するが如き態度を執りつつあることは、我々の絶対に承服し得ざるところである。我々の要望するものは共産党勢力に対決し得る安定勢力の出現であつて曖昧なる中間内閣の出現ではない。此の際一切の政治的野合闇取引を排して議会の解散を独行し政局の一新を計るべきである。茲に我党は全国民と共に諸他の政党の反国家的妄動を厳重に監視すると共に反共的国民政治力を総結集する努力を行わんとするものである。
右声明す。

昭和二十九年十二月九日
大日本生産党
 
鳩山内閣の対ソ外交に対する警告書(昭和30年2月3日)
鳩山内閣は総選挙の真只中に対ソ国交回復交渉に乗り出したがその無準備と無定見は国家の完全独立を脅かす危険性がある。ソ連が自由党崩壊後における民主党内閣の暫定性と弱体とを見越し、今次総選挙に於いて日本共産党及び容共社会主義政治を強大ならしめ合法的に日本の共産主義化を促進せんとする政治的陰謀を抱懐することを知りながら、何らの下準備なしにソ連の提案に応ずることは国家権力の奪取を共産党の計画道り実現させることである。

「何となればポツダム宣言そのものが既に主体たる米ソの分裂、中国、朝鮮、インドシナの役割によつてその本来の意義を喪失し千島、樺太、沖縄その他の占領によつて日本降服は永遠の屈辱に終わらんとしているからである」

日本をソ連の植民地化し、日本国民の生命と財産の全部をソ連に買渡さんとする日本共産党の非合法化を断行することなしにソ連との国交を回復することは、国際共産党本部の直接的日本進出に門を開くことであって、日本の完全独立を危殆ならしむものである。

「共産党と社会主義勢力は米ソ両陣営の平和共存の可能なること、マツカーサー憲法の絶対擁護、赤軍侵略の前に銃を執るなと宣伝しているが、かゝる奴隷根性、売国的心理は日本国民を侮辱するも甚だしい」

鳩山首相は更に中共を承認して二つの中国政府と修交すると称しているが、アメリカ、国府との関係を如何に調整し国際共産党の直接侵略を如何に防衛せんとする積りであるか。かくの如きは共産党勢力を増強せしむるものであつて反共主義たる鳩山首相の自殺行為ではないか。

我が党はすべての国家との国交調整を望むものであるが、それには共産党の非合法化、米国製憲法の改正を第一条件とする。武装無き日本を侵略せんと企図する国家に対しては慎重なる外交を以て望むべきことを警告するものである。

昭和三十年二月三日
大日本生産党党首 河上利治